自然素材と新建材、住宅に対するこだわりと取り組み。中古住宅?新築? 日々疑問に思うアレコレ。
人生の目的も定まらず、あんな事やったりこんな事やったりでフラフラ~っと自由人を気取って生きてた20代。
そしてこのままじゃいかん!と30才目前に大工さんになると目指し始めて今年で11年目。目的もって10年生きてると流石に其れなりのモノが身に付くものだと最近益々感じてます。
この先40代、50代とそれぞれ10年ずつドップリ何かに浸かってみればあと最低2つのマスターになれんじゃねーか?
お次は更に上の宮大工でも目指してみっか!?
とも思ちゃったりして。
俺も今年2月で41才。
少しずつ住宅や店舗、建具、家具などの相談を友人から受けるようになってきた。
中・高の同級生達にもマジメに取り組んでるのが分かっていただけてきたようですかな!?
仕事、住宅に対する俺のこだわりがただ一点だけある。自己満足だろうが何だろうが、おれ自身が欲しいもの。グッとくるもの。美しいと思うもの。何より目指したいと思ったもの。それが、
【自然素材を使ったものづくり】
一見当たり前の様な事かもしれないけど、身近に溢れるシートやプリントでそれっぽく見せる偽物ではなく、ノリやボンドで寄せ集めて作った木材ではなく、その地域に自生する木や石、土やらなんやらを使った理に適った自然素材で造るものづくりです。
「衣・食・住」の『住』
住宅一つとっても仕事中、日々いつも感じる疑問・違和感。
これは不動産屋時代から変わらず思ってる事だが、どんなにシャレた新築を立てようが、お金を掛けようが、外装も内装もそこらに並ぶよくある大手メーカーなどの既製品でつくってしまえば、ローンが終わる30年後35年後には1円の価値もないただの“ゴミ”になってしまってるという現実がある。
少なくとも国交省、国の評価はそうなる。
実家を住み継ぐ事もせず、“ダサい”とか“古臭い”とか言いい、銀行に生命保険まで掛けられて命懸けでローンを組む。そうやって建てる家は今風の流行りの色遣い、デザイン、の既製品でつくる家。
だいたい何処の誰の実家にお邪魔しても同じ様なつくりが多くないか?
今バタバタと建っている新築住宅もあと20年、30年もすると、我々の実家の造りのように「これ流行ったよね〜」とか「懐かしいね〜」と言われるようになる。
分かってるはずなのに、自分達がそうだったように自分の子供や孫たちも“ダサい”とか“古臭い”とか言いそれぞれ家を買う。
何千万もローンを命懸けで組んで。
そうやって各世代がまた同じことを繰り返す。
年をとり除雪が困難だったりと貸したり売ったりしようにも、皆似たり寄ったりの家だもの、最後は価格で勝負!売れるだけまだマシ。安く叩かれるのがオチってやつだよね。
不動産や建築業の中身を知ってしまった今。コノ業界。
大手ハウスメーカーを中心に作り上げてきた市場や価値観にまんまと騙されてカモにされていくご近所さんやお客さんを何人見てきたことか。駅前の商業地やその地域の商店街等中心部からの徒歩圏内から外れた家なんて、築35年とか経つと古家付きの土地とかいって車より安い値段で取引されてるからね。
もっと言うとこんなの日本だけ。 らしい。。
数年前父が移住したタイや、父の妹が住むアメリカはじめヨーロッパでは不動産の中古市場も盛んで、築100年を超える住宅なんて当たり前のようにある。
家に対する思い入れや価値観、市場自体が日本とはま逆な世界の常識。
ヨーロッパの国々のあの美しい街並みを一度はテレビや雑誌で見た事があるとおもうが、そういう住み継ぐ文化や価値観や市場が今も変わらず残っている。
古くなっても価値がおちない。ビンテージ!むしろ古いほうが良い!!
なもんだから当然メンテナンスも欠かさないワケ。週末や長い休暇の時間で愛情込めて愛着持って手を掛けて育てていく。
ん~~素敵♪
高校時代、父の妹の京子さん(おばさんて言うと怒る*^^*笑)家族が住むアメリカシアトルに1人で遊びに行った事がある。
シアトルの空港に着き、迎えに来てくれた京子さんと合流。
家は街から外れた小高い山の森の中。暫く車で走り
「着いたよ」
と道路から舗装されてない轍に沿って曲がると、チョットした映画のワンシーンのような木漏れ日の眩しい森の中、暫くだったかちょっとだったか(うろ覚え)そのまま車を進め木々の隙間をぬけると、その奥にはどデカい切妻屋根のログハウスがが建ってた。
聞けばこのログハウス、自分の土地の木を使って夫婦二人と一台のチェロキーだけで建てたそうで、中に住める様になるまで約5年掛かったそうだ。
中に入ると玄関ドア、床から家具からキッチン、二階の寝室には丸太を四方に組んだベッド、何から何までその全てがその土地の木で造ったもの。建物裏手には大きな池とそこに掛かるに橋があり、橋を渡ったその向こうには東屋が建っていて【和】を演出している。
総ガラス張りのシャワールームのジャグジーからその庭園を一望できるつくりだ。
リビングには石を積み上げて造った暖炉もあり、
”北の国から”のリアル五郎そのものだった。
とにかくその全てにスゲーとう思いしか残ってなく、アメリカ観光の記憶が無いんだけどこの強烈なカルチャーショックとインパクトの強さに頭がすっ飛んだせいだとも思う。
感性豊かなお年頃のとても貴重な経験にただただ感謝!
俺のこの物づくりに対する姿勢や価値、考えはこの時の体験が身体の芯にズッゴーンと入ってる。
たとえ小さな棚だろうがそれは変わらない。木材店から運ばれてくるその小さな棚の材料もそれがそのまま仕上がりとして使うのであれば、何かしらひと手間掛けることでより木が活きていく。
当たり前のことだが使い方によって鉋で仕上げるかペーパーで仕上げるかもその一つ。
そうした意識の中に居ることで自然と付き合う大工さんや職人さんのレベルも上がっていく。出会っていく。
そんなこだわりあるマニアック職人さん集団の建てる家には、国や金融機関の定める評価以上の価値のある建物になるはず。
新建材でてきた既製品だらけのオモチャ箱よりも自然素材でつくる家。
お値段以上!それ以上!!
「なんでもイイからチャチャッとやっちゃってー」
なんて言われたら俺ふて腐れちゃうからね♪
まだまだ道半ば。
大きなことは出来なくても、おれの周りに居る手の届く範囲の人達にだけでも。
それを望む人達にだけでも、価値あるホンモノを届けられるようもっともっと精進していこう!
さ!鑿(のみ)でも研ご~っと!
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